Собака и Кошка


パストサラミと目玉焼き2
by pastsarami

アイデンティティー

中学あたりが多感だし他者との差別意識も猛烈に高まる時期かとおもわれるが、
勿論その前からガンガンに危機が訪れる。

それは幼少期から。

前にも書いたはなしかもしれないけれど、少し詳しく書いてみる。

さばかはさんにんきょうだいのまんなかだし、こーしゅかさんの幼少期からの芸術家っぷりも
烈しいものがありガンガンにアイデンティティーの危機とやらに襲われた。

他者との差別意識のなかで覚えていることといえば、名前についてがいちばんはっきりとしている。

うちでは所謂「おかあさん」「おとうさん」「おにいちゃん」「おねえちゃん」という呼びかけは存在しなかった。
然し乍、他のうちや社会においては存在しているのを知っていたから、
作文を書くときや先生などの大人と話すときは彼らが解り易い様にそういったことばも使った。
おまえらのレベルに合わせてやるよといった、侮蔑的行為だったとおもう。

でもそこまで行く前に、まず他の家庭との違いを知るという段階がある。
それが保育園(ちゃんとした方)だった。
(保育園はふたつかけもちしてた。)

初めて母親に確認する。我々の世界にはない、あの親に対して皆が呼びかける謎のことばについて。
ことばってのはふしぎなもので、こどもだろうとなんだろうと「きっとこういった意味なんだろう」
っていうのが本能で察知できるときがある。

彼女は言った。
本来の名前があるにも関わらず、もしその名称で呼びたければ呼ぶがいい。
但し、お前を呼ぶときもこれからは「子供」と呼ぶが、それをお前は受け入れるか。

こういった内容だったかと記憶している。
完全に脅しである。

しかもさばーかは3人兄弟。
それが全員「子供」と呼ばれ、区別がつかないがそれでもいいかと更に脅された。

名前っていうのはアイデンティティーをわかりやすく内包している。
それを他でもない、肉親から無視されるというあの不安を理解していただけるだろうか。

突如、烈しい不安に襲われ、我が家においては今までどおりの名前で呼び合おうと懇願した。
どうか、このままで…!と。


時々ドラマとかで、子供のことを「おにいちゃん」とか呼びかけるシーンあるじゃない。
してるほうもされてるほうも、一体どういう神経でそんなことが可能なのか、
さばかには理解し難いものがある。

Собака
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by pastsarami | 2013-07-15 09:00 | на днях
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